黄色い庭 Garden with yellow

幼年期の思い出の風景の中に(それはどれも自宅の裏庭であるのですが)いつも黄色があります。

あまり日当たりの良くない小さな庭に、蝋梅、連翹、夏蜜柑、桜の木が植えられており、蝋梅のそばには石臼があって、祖母がその中で金魚を飼っていました。祖母は他にも黄色いカナリヤを飼っていたのですが、ある夏の日、そのカナリヤが死にました。

祖母は小さなカナリヤの亡骸をティッシュに包み、夏蜜柑の木の下に埋めました。
わたしは一部始終を傍らでじっと見ていたのですが、埋める前に亡骸の包みを持たせてもらいました。その亡骸の驚くほどの軽さにびっくりした記憶が残っています。足元には大きな蟻の行列がありました。

その埋葬の儀式は、わたしが生まれて初めて経験した「死」というものへの洗礼であったような気がします。

黄色というと、1975年 に「ミルクストーン」の作品を発表し注目を集めた、ドイツのミニマルアーティスト、ヴォルフガング・ライプの「花粉」の作品が思い浮かびます。
床の上に正方形に近い形で撒かれた、鮮やかな黄色の色彩が「花粉」であると知った時、込みあがってきた感情は、わたしの幼年期の記憶を揺さぶりました。ライプはテュービンゲン大学で医学を学んでいましたが「現代医学は人間の身体についての自然科学にすぎない。大事なのは肉体だけではない」と、生命の真髄を探求するべくアーティストになった人。

一面の黄色い花畑で花粉を集めるライプの姿は、修行僧のような佇まい・・・彼のルックスはまさに仏教徒のようです。

ライプの黄色は、あの幼年期の黄色い庭と同調し、あの幼い日の夏「生命の秘密に触れた」という微かな幸福にも似た感情を思い出させてくれます。