創作ノート:ゴッホの手紙

1890年7月27日の日曜日、怪我を負ったゴッホがオーヴェールの下宿先にたどり着く。
体の中に銃弾が残った状態で、医師や警察に「麦畑で自らの胸部を撃った」と語り、7月29日、37歳で生涯を終えた。
その銃は発見されていない。

と、こう書くと、何やらサスペンス小説のよう。
ゴッホの死については自殺説と他殺説があり、他殺説については、犯人は地元の2人の少年(これは銃の暴発事故に巻き込まれた説)、そして弟のテオの2つの説がある。
弟のテオ説があるとは驚く。献身的に兄を物質両面で支えた彼にどんな動機があっただろう。
死の直前、ゴッホは大量の絵の具を注文していたことや、自殺にしては不自然な胸部の銃痕などが他殺説を後押ししているのだが、このミステリーは多くの美術ファンならずとも、それほど美術に興味のない人々の興味をもそそることと思う。

それはさておき、わたしがゴッホの作品の中で一番好きなのは 『ゴッホの手紙』の中にある、死人の頭 (la tête de mort)」と呼ばれる蛾のスケッチで、その謎めいた死の前年、精神病院に入院するためにサン・レミに滞在していた時に描かれたもの。

「 … 昨日は、死人の頭という珍しい大蛾を写生してみた。その色彩は、黒、灰色、陰影のある白や反射光のある洋紅色、かすかだがオリーブ緑色に転じた色で、たい そう大きい。
 それを描くため殺してしまわねばならなかった。それほどその蛾は美しかったので惜しかった。植物の素描幾点かといっしょに、この素描も送ろう。」

(岩波文庫  硲 伊之助訳『ゴッホの手紙(テオドル宛)下』より)

「死人の頭 (la tête de mort)」と呼ばれる蛾はスズメガ科のヨーロッパメンガタスズメで、背中に髑髏を想わせる紋様があることから、髑髏蛾とも呼ばれる。しかし、この蛾にはゴッホが描いた目玉のような丸い文様が羽にない。

ゴッホが描いた蛾は、本当はオオクジャクサンという蛾なのだそうだ。
この蛾の羽にはクジャクの羽の目玉模様のようなものがある。しかし、オオクジャクサンの背中には、ヨーロッパメンガタスズメのような髑髏紋様がない。
おそらくゴッホの勘違いによるもののようだ。

いずれにせよ、ゴッホが描いた蛾は不吉の象徴のように思えて仕方ない。
ゴッホの死の真相がどうであれ、彼の身に確かに死の予兆が忍び寄っていた、そんなことを思わせる。