創作ノート:時祷書6月 – 太陽の息子 –

『ベリー公のいとも豪華なる時祷書 Tres Riches Heures of Jean, Duke of Berry』では、6月は「夏草の刈り入れ」
牧歌的な夏草の刈入れの風景。
「6月」はランブール兄弟の作ではなく、完成させたのは15世紀半ばの画家とする説とブルジュ出身の職人、ジャン・コロンブとする説があり、現在も議論が続いているとのこと。

背景にはセーヌ河畔のシテ王宮の聖ニコラ礼拝堂の跡地に建設されたサント・シャペル教会。サント・シャペル教会は聖ルイ(フランス王ルイ9世)により、1244年頃に聖遺物のコレクションを納めるために建設されたもの。

6月の作品は「太陽の息子」。
6月といえば夏至。夏至といえば、6月24日は洗礼者ヨハネの聖名祝日。
キリスト教が伝わる以前のヨーロッパにあった夏至の祭 Midsummer Day と、聖ヨハネの祝日とが結びついたこの日は、太陽が頂点に達した後、日が短くなっていくことから、太陽に力を与えるための「たき火」が必要であるとされ「聖ヨハネの火」と呼ばれている。

聖書によると、ヨハネはマリアの親戚の子供で、イエスの半年前に誕生しており、このことから、ヨハネの誕生を6月24日と定め、夏のクリスマスとも呼ばれている。
ヨハネはラクダの毛皮を纏い、イナゴと野の蜜を食し、荒野で修業しながら人々に洗礼を授け、イエスにも洗礼を施した。救世主として人望を集めていたが、ヘロデ王の結婚(ヘロデ王は兄である王を殺し、その妻であったヘロディアを娶った)を批判して捕えられる。
ヘロデ王は民意を恐れてヨハネを生かしておいたが、その死は、王が催した宴でヘロディアの娘サロメが見事な舞を踊り、王から褒美を問われることによる。ヨハネを憎んでいた母ヘロディアの入れ知恵により、サロメはヨハネの首を所望する。
王は迷うが、一度口にした約束をたがえることができずにヨハネの首をはねさせ、 盆にのせてサロメの面前に運ばせる。

ギュスターブ・モローの「刺青のサロメ」(1871制作)、「出現」(1876制作)を初めとして、19世紀末に花開いた退廃芸術は、サロメを従順な娘からファム・ファタール(宿命の女)へと変貌させた。
その決定打ともいうべき作品は、イギリスの劇作家オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』。

ワイルドの「サロメ」は、ヨハネに恋心を抱くも、すげないヨハネの態度に、ついには舞の褒美に首を所望するまでの狂気を帯びた恋慕に変わっていく。運ばれてきた盆の上のヨハネの首に口づけするという、センセーショナルな内容のために、初演は出版から3年後の1896年。
英語版の挿画は、これまた19世紀末が生んだ鬼才オーブリー・ビアズリーが手掛けている。(詩人・田村隆一は、「世紀末」とは19世紀末にだけ使える言葉だと言った!)

さて、ヨーロッパでは、夏至の日には妖精や薬草の力が最大になると言われ、夏至の露には病気を治す力があると考えられている。さらに夏至の前夜に摘む薬草は特に効果があって、「セイヨウオトギリ」を枕の下に置いて眠ると未来の夫が夢に現れるとか、7種類の草花を枕の下において寝ると恋がかなうなど、いずれも恋愛にまつわる言い伝えがある。夏至の日の薬草に関する最も有名な物語はウィリアム・シェークスピアの「夏の夜の夢」(A Midsummer Night’s Dream)だろう。

この作品で一番重要な薬草といえば「恋の媚薬」。媚薬は「aphrodisiac」、愛の女神アフロディーテの名から来ている。「夏の夜の夢」で使われる媚薬、これは単純に野生のパンジー(三色スミレ)の絞り汁。妖精の王オベロンのセリフには媚薬の材料として「Love in idleness」(無益な恋)が挙げられており、これは野生のパンジーの別名。シェークスピアが媚薬にパンジーを選んだのは、この花の別名に恋愛にちなんだ名前が多いことからだそうだ。

この物語の最後に媚薬を解く薬草が登場する。魔法には必ずそれを解く呪文や薬草があり、オベロンはその名を「ダイアナのつぼみ」と言っている。媚薬が愛の女神アフロディーテの名から来ているのであれば、それを解く薬は月の女神であり貞操堅固な処女神ダイアナであるというわけだ。ダイアナはギリシャ神話ではアルテミス、シェークスピアの時代にこの名を持つ植物はマグワートというハーブ。このハーブは悪魔払いに使われ、別名「聖ヨハネのハーブ」と言われている。