旧約聖書・創世記に登場するヤコブは非常に興味深い人物だ。
母親の計略に従い、双子の兄が受けるはずであった祝福をだまし取る。
双子の兄エサウは狩人で、非常に毛深く野の人であった。
父親はエサウを愛し、母親はヤコブを愛していた。
ある日、狩から帰ったエサウは空腹のあまり、ヤコブが煮込んでいたレンズ豆の煮物を得るがために長子の権利を弟に譲ってしまう。
そしてヤコブはヤギの毛皮を腕や首に巻き、歳をとって目の悪くなった父親イサクから祝福を受ける。
父親と兄を欺いたヤコブ。しかしそれは神の意思である。
これは、一時的な満足のために大切なものをおろそかにしてはならないという戒めの物語なのだ。
旧約聖書における神は恐ろしい。絶対的な父権の概念、荒地の思想。
ヤコブが父親を騙したことより、生まれながらに与えられた長子の権利(それは相続権であり、地位であり一族を取り仕切る身分)を軽んじたエサウを罰するのだ。
ああ、わたしの子の香りは
主が祝福された野の香りのようだ。
どうか、神が
天の露と地の産み出す豊かなもの
穀物とぶどう酒を
お前に与えてくださるように。
多くの民がお前に仕え
多くの国民がお前にひれ伏す。
お前は兄弟たちの主人となり
母の子らもお前にひれ伏す。
お前を呪う者は呪われ
お前を祝福する者は
祝福されるように
父に愛されたエサウ、イサクの祝福の言葉“わたしの子の香りは主が祝福された野の香り”は悲しく響く。
しかし、長子の権利を得たヤコブも、怒りに燃えるエサウから逃れるために故郷を後にしなければならない。
母親の親戚の元に身を寄せたヤコブは、妻を娶るに当たって姉妹の妹を望むが、義父に欺かれ、まず姉と結婚させられる。
それも、それぞれ7年間の労働と引き換えという条件付きで。
なかなかに翻弄される人なのだ。
それゆえにヤコブを好ましく思う。