鸚鵡が日本にもたらされたのは案外古く、647年だという。
絵画に登場するほどに一般的になったのは江戸時代からだろうか。
花と鳥は日本画の系譜において伝統的な主題だろう。
明治から昭和を生きた日本画家、小原古邨(おはらこそん)も何点か描いている。
文鳥やつばめ、鷺などと比べて、その表現はなんとなくバタ臭く、それがとても良い。
宝石の涙はシュルレアレリスムでは十八番(おはこ)的表現。
つがいの鸚鵡の一方が涙しているのはいかに・・・。
淡いピンクの紫陽花の可憐さ。
紫陽花を作品に多用している。
生家の裏庭にもあったし、街中でもよく見かける身近な花だ。
小・中学生の頃の登下校の途中に踏切が一つ。
線路ぎわに小さな教会があって、敷地内にソテツと紫陽花、いかにも南国九州を思わせる。
毎日線路を渡る度にチラッと上り方向を見やり、画業の確立のための「上京」という夢に胸を膨らませていた。
すぐ先にトンネルがあり、カーブしているため先に見えるのは小さな光のみ。
その光の小ささが逆に大きな未来を映し出していた。
紫陽花は季節を過ぎても長く花が残るからか、線路脇でいつも見守っていてくれたような気がして、
この花には今もって甘えた気持ちを持っている。