作品と額の関係。
ルーマニア出身でパリで活動した彫刻家ブランクーシは、台座も作品の一部として重要視していた。
私が学生だった頃のトレンドは抽象絵画で、額は目立たず、作品を邪魔しないものを選ぶというのが定石だった。
いや、むしろ額など無い方がカッコいい!と、額なしでの展示も多かった。
美術館所蔵作品などに見られるゴテゴテとした重厚な額は、確かに時代錯誤感があった。
若い頃の感覚というものは、幼少に身につけた味覚よろしく、なかなかに変えがたいものだ。
私の現在の制作の主流は箱の作品なので、額を必要とする平面作品は滅多に作らないのだけど、
自身の内にある「額」の概念を打ち破るべく、額と作品が一体化したものを作ってみようと思い立った。
中に使用した写真のイメージは「晩秋のテニスコート」。
くすんだ草色に子供のセーターのオレンジと、ぬいぐるみと乳母車の黒のアクセントが効いている。
選手のいない、ひなびたテニスコートと可愛らしい子供の笑顔の対比。
子供の母親はかつてテニスの選手であったが、怪我や何かで挫折し、今ではすっかりスポーツから遠のいている。
子供が生まれて忙しくも穏やかな日々を過ごす中、散歩中にふとテニスコートを見つける。
ギャラリーの歓声、ボールを打つ音、夏空と躍動、学生の頃の鮮やかな記憶が蘇る・・・。
なんということのない写真でも、そんなドラマを想像させる。
写真にはそういう力があるが、この作品の場合、やはりデコラティブな「額」が物語性に花を添えることができたと思う。