紅茶といえば、イギリス。
17世紀に中国からヨーロッパに伝えられたお茶は、18世紀のイギリス貴族社会で人気を高めていき、1662年、ポルトガルからチャールズ2世に嫁いだキャサリン王女が中国茶を持参し、王侯貴族の間でお茶が流行。そして、1702年に即位したアン王女の時代に、王室でお茶を飲む習慣が確立。
さらに17世紀後半から19世紀初頭までの間、東インド会社がお茶の輸入を独占したことにより、大英帝国の黄金時代(ヴィクトリア朝/ヴィクトリア女王の治世時代1846-1901)を迎えたことと、それによって産業革命が起こり、中産階級を中心とする市民にも定着していったという。
19世紀に入ると、イギリスは植民地であったインドやスリランカ(当時はセイロン)でお茶の栽培に成功。1840年、中国とのアヘン戦争をきっかけに、インド・スリランカ地方のお茶は中国紅茶を凌駕することになる。
ヴィクトリア女王は、アフタヌーン・ティーを公式なもてなしの儀式とした。紅茶が人々の暮らしに浸透してくると、文化的にも“日常の風景としての紅茶”が登場することになる。
「不思議の国のアリス」のラストシーンでも、アリスが姉から「さあ、お茶の時間に遅れるわよ」と促されて走っていく描写がある。
『不思議の国のアリス』の作者ルイス・キャロルはシリーズのモデルである、当時4歳であったアリス・リデルの撮影を行っている。
有名なところでは「乞食の格好をしたアリス・リデル」や「中国人の格好をしたクシー・キチン」。こうしたコスチューム写真にも力を入れていた。ヴィクトリア時代には随分流行ったようだ。
この時代の写真家といえば、マーガレット・キャメロンがいる。二人の関係はどうだったかというと、お互いに作品をけなしあっていたそうだ。
キャメロンは1863年、48歳のときに娘から贈られた写真機により、写真家としての経歴がスタートさせる。独学で写真を学び、作品を精力的に発表していった。
ヴィクトリア朝の黄金期にあって、キャメロンが属していた上層中流階級は知的で華やかな社交生活を送っていたし、ルイス・キャロルもまたライオン・ハンター(名士と交際したがる人)の一面があったようだ。
そうしたサロン文化に「お茶会」は良くマッチしたのではないか。
イギリスの1日の紅茶の習慣は、アーリー・ティー(目覚めの紅茶)、ブレックファスト・ティー(朝食の紅茶)、イレブンジス・ティー(午前の仕事の合間の紅茶)、ランチ・ティー(昼食の紅茶)、アフタヌーン・ティー(おやつの紅茶)、ハイ・ティー(夕食の紅茶)、ナイト・ティー(就寝前の紅茶)と、1日中お茶を飲んでいて、まさに「終わらないお茶会」だ。
この作品はまさに、そうしたヴィクトリア朝の文化をイメージした。