灰の水曜日と「冬の木」

『灰の水曜日』(Ash-Wednesday)はイギリスの詩人、T・S・エリオットの詩で、タイトルの「灰の水曜日」はカトリックの四旬節の最初の水曜日のこと。『四つの四重奏』(T・S・エリオット/岩波文庫)に収められている「灰の水曜日」の解説は次の通り。

四旬節とは、キリストが荒野で四十日間断食して過ごし、サタンの誘惑を退けたこと(「マタイ伝」四章一−一一節、「ルカ伝」四章一−一三節)を思い起こし、信徒が懺悔と断食をする四十日間である。教会では、司祭が信徒の額に灰で十字のしるしをつけ、「汝は塵ならば塵に皈るべきなり」(「創世記」三章一九節)と唱えて、犯した罪を想起させ、心を神に向けさせる。信徒は罪を悔い改め、現世離脱と霊魂の救済を求めて神に祈る。『灰の水曜日』はアングロ・カトリックの信仰を得たエリオットが、四旬節の最初の水曜日に神の前で悔い改め、霊魂の浄化と救済を祈る詩である。

エリオットといえば、有名な「四月は残酷きわまる月」から始まる『荒地』で知られ、この詩は後続の多くの詩人に多大な影響を与えている。エリオットの存在を知ったのも詩人・田村隆一さんの著作を通してであり、私自身も何年か前に『荒地』を題材とした作品を制作するほど傾倒していた。

しかし「灰の水曜日」となるといかにも宗教色が色濃く、少し扱いにくい。けれど、不死鳥は燃え尽きた灰の中から蘇る・・・「灰」という物質の象徴として再生の意味がある。

「再生」ということでいえば、薄灰色の冬の空を背景に、葉を全て落とした寒々しい木々の枝を仰ぎ見る時、春の訪れを前に今一度身を律するような気持ちが生まれることは確かであり、そこに「再生」を前にした静かな蠢きがあると思う。

灰の水曜日と「冬の木」。

思考は抽象へ向かい、深い内省と再生への祈り。灰色という色。