創作ノート:海とコンパス

イギリスの画家・詩人ウィリアム・ブレイク(1757-1827)の『ニュートン』。
無心にコンパスに向かうニュートン(1642-1727)が海底の岩と同化している。これは、ニュートン=科学の傲慢とし、痛烈に批判した作品だという。

ニュートンは非常に内気な性格で、科学史を塗り変えるような発見を何十年も発表しなかった。しかしながらその驚異的な業績によって同時代の科学者たちから崇拝され、神格的に崇められたゆえに、ブレイクたち19世紀ロマン主義者たちから、夢を壊し、虹を分解し、想像力を干上がらせた「文学の詩情の破壊者」という見方をされてしまったのだろう。
20世紀の研究以降のニュートン像を知る後世の者からすれば、大変気の毒なことだ。

イギリスの経済学者ジョン・メイナード・ケインズは、1936年にニュートンの錬金術と神学に関する原稿を競売で手に入れた。それは科学的でないという理由でケンブリッジ大学が所有を拒んだものだ。19世紀から20世紀初頭の科学者らが語る科学史では、ニュートンは天才的な自然科学者、自然科学界の一種の英雄といったイメージで語られた。ケインズもそうした英雄的イメージを聞かされて育ったが、長年の研究の結果、ニュートンを「最後の魔術師」や「片足は中世におき片足は近代科学への途を踏んでいる」と評する。

ニュートンの伝記作家リチャード・ウェストフォールは、『アイザック・ニュートン』の中でこう語っている。

彼は、機械論哲学者であることを完全にやめることはなかった。運動する物質粒子が物質的現実を形成していることを、つねに信じていた。しかし、厳格な立場をとる機械論哲学者たちが、現実は運動する物質粒子だけで構成されると主張したのに対し、ニュートンは非常に早い時期から、そうした考えでは自然界の現実を包括し説明するためには制限がありすぎると思っていた。錬金術は彼の知的道のりのなかで重要な役割をはたした。それは、彼に新しい観点を、あまりにも狭い機械論的発想を補完する考えをあたえてくれたのである。

ニュートンの有名な言葉

世間が私をどう見ているかはわかりませんが、私自身は自分を、浜辺で遊ぶひとりの子供のようなものだと思っています。
私はただ、形のよい小石や綺麗な貝殻を探すことに夢中になっている。
だが、そのすぐ目の前には、大いなる真理の海が、いまだ発見されぬまま広がっているのです。

構図はウィリアム・ブレイクの『ニュートン』によった。
ブレイクとニュートン、二人の偉大な人物に敬愛を込めて。