イギリスの詩人、T・S・エリオット(1888-1965)の代表作『荒地』(The Waste Land )を題材にした作品。
詩人で英文学者でもあった西脇順三郎(1894–1982)の訳が一番有名なのではないか。
このプロローグは本当に素晴らしい。
四月は残酷きわまる月だ
リラの花を死んだ土から生み出し
追憶に欲情をかきまぜたり
春の雨で鈍重な草根をふるい起こすのだ。
この作品は、一面のクローバーの草地を背景に草と土のサイコロを配した。
サイコロを振るという行為は、賭けの中では最も単純なものではないだろうか。
その醍醐味は?確率に対する直観の挑戦?
そこにある種のダイナミズムが存在することは理解できる。
季節は毎年巡るが、その訪れは非常に気まぐれだ。
そのダイナミズムは「サイコロ振り」に似ているかもしれない。
そういえば、アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と言った。
これは量子力学の曖昧さ(観測される現象が偶然に選ばれるといった)を批判するための言葉だが、量子力学はまだ謎が多いという。果たして?
科学の問題は置いておくとして、人生の問題となると「偶然」とはある種の救いではないかと思う。原因による結果とは言い切れない、理不尽な「不幸」というものが存在する。
なんの意味があるわけでもなく、「たまたま」という「偶然」は、人を優しく慰めてくれるだろう。